自宅に帰ると夕食がトンカツだった。これは新生タイププロジェクトの前祝いかと尋ねると、いや別にとの答え。それでもいいのだ。喝!
自宅に帰ると夕食がトンカツだった。これは新生タイププロジェクトの前祝いかと尋ねると、いや別にとの答え。それでもいいのだ。喝!
妻がおかずをタッパーに入れてもたせてくれるのは有り難い。ときどき早弁してしまうのは、高校時代の習慣が抜けないからだと思う。迅速なる判断力と処理能力がいくらかでも私にあるとすれば、それはこのときに培われたものであろう。私の観察では、食堂において注文が速い人、食べるのが速い人は、仕事をこなすのも速い。ただし荒っぽいところがあり仕事もまた粗い。
冷房ではなく除湿でエアコン初稼動。机の配置をいろいろ試してみる。店を作る楽しさはこんな感じなのだろうか。開店日が待ち遠しい。文字の店。書体の棚。活字の園。
新生タイププロジェクトのスタートは7月1日です。1日には最初のメンバーが、引き続き二人目のメンバーが加わる予定です。舟を漕ぎ漕ぎ少しずつ挨拶に廻りたいと思っています。
AXISフォントの欧文デザインをお願いした小林章さんの『欧文書体〜その背景と使い方』が刊行された。『デザインの現場』連載分への加筆もかなりあるようで手に取るのが楽しみだ。小林さんが初めて書いた本の刊行日が、私の妻の誕生日にあたったのも何かの縁であろう。小林さん、お祝いにケーキを食べましたよ。この著作が次の果物を実らす果実であることを祈ってやみません。
夏めきぬ。風があるおかげでまだしのぎやすい。自宅近所のホームセンターでレタースペースの台所に置く背付きの丸椅子を購入。小振りでほかの机との相性も良い。折り畳み可。
風の香を羽織りて出るや我が夕 茶門
浮き足だっているせいだろうか。立ち上がりざま鴨居に頭を打ち付けた。傷口をわずかにそれたおかげで痛みは小さい。同日、机の配置替えを行なっている最中に、外付けハードディスクを床に落としてしまった。床にぶつかった衝撃でHDのフロント部が外れ、中から基板が飛び出した。そのとき私の口からは「オオ(に濁点)」という何とも言えぬ呻き声が漏れた。ケースから具が飛び出したことよりも、呻き声が意外なほど低く、鐘のように響きわたったことにむしろ驚いた。
心ここにあらず。ではどこに心があるかといえば七月にある。舟を漕ぎだす七月にある。
新メンバーとレタースペースで打ち合わせ。テーブルとモニターを搬入するため自宅の車でやってきた。テーブルの色は周囲によくなじみ、寸法も空きスペースにぴったりとおさまった。なんだか嫁入り道具めいた感じがしないでもない。
なにもこんな蒸暑い日にやらなくてもと思いながら、石油ストーブの空焚きを強行。気温が高いせいで、ほんのすこしの灯油がなくなるまでに四時間かかった。その間室内温度は35度をキープ。夏炉冬扇とつぶやいてみましたが、ちっとも涼しくありません。頭頂の傷口がかさぶたになって背丈が2ミリ伸びました。熱々のプーアール茶が美味しいです。
鉄柵で脳天を強打し流血。暮れがた多摩美の学生三人がレタースペースを来訪。就職活動の状況について聞く。
妻子に立方庵の壁にペンキを塗ってもらう。子供が夢中になってやってくれたのは助かった。私はそのあいだに自転車を買いに出かけ、27型の黒に即決。レタースペースに戻りモンブラン風味のアイスクリームを分け合って食べる。
レタースペースに向かう途中で自転車がパンクした。タイヤのゴムが摩滅しきっていたので今度パンクしたら買い替えようねと以前から話していたのだが、まさにきょう新しい自転車を購入する予定だったのだ。十五年前に自動車を廃車したときにも同様のハプニングが起きたことを思い出した。
朝雨戸をあけると桃色の紫陽花が目にとびこんでくる。しおらさを感じさせない巨大な紫陽花である。この紫陽花を見てギョッとするかシャンとするかでその日の体調を推しはかることができる。今朝はびっくりした。
遠方より来客。同業で同い年という方は初めてかもしれない。約束の三時間のあいだに多岐にわたる話題を駆け巡る。そのあと、同席してもらった仲間と紙媒体を使った企てについて二時間ほど意見交換をおこなう。義をみてせざるは勇なきなり。機をみてせざるは遊なきなり。
あす会う客人とどんな話しをしようか、そんなことをぼんやり考えるのは楽しいものである。断片的な情報のみでその人を思い浮かべるような場合にはとりわけ楽しい。
大量のレタスを食べあぐねてたのだが、ドレッシングを替えたらとたんに食べやすくなった。ノンオイルの梅肉ドレッシングは実にさっぱりとしていてレタスとの相性が良いようです。そうそう、レタースペースのことを最初コードネームでレタスと呼んでいたのでした。
きのう情熱大陸を観ながら、二十代のころならきっとこんな生きかたに憧れただろうなあと思った。カメラマン藤代氏は私と同じ1967年生まれである。十数年前の自分であれば、これほど平静な気持では観ていられないだろうなとも思った。しかし、三十八歳の私はこう思うのだ。彼はカメラを選び、私は文字を選んだに過ぎないのだと。素志。ふだんのこころざしというほどの意味です。
夜更けの読書が過ぎてこのところ寝不足気味である。さらには書熱が内にこもってか熱中症のような症状を呈している。放熱の時節は遠くない。熱エネルギーをためておくに如くはない。
学校から読書カードを支給されてからというもの、息子が本をよく読むようになった。記録をつけることによってある行為が持続促進されるという事実は、単調で地味な行為ほど当てはまる。書体制作のような長丁場には、花と団子もお忘れなく。
遊びは大事です。自分が遊ぶのではなく、時間と空間に遊びをもたせたり、発想や構想を自由に遊ばせておくと、ときに思いがけない産物がもたらされることがあります。裏になったり表になったり、浮かんだり沈んだりする状態を意識的に保持していると、漂流しながら素敵な岸に漂着してしまうことが稀にあるようなのです。
池袋の喫茶店で某フォントメーカーの長と会う。おとついは20代、きょうは50代と年齢に開きはあるものの、組織を束ねる二人の長に共通しているのは、外側は柔らかく内側は芯が通っているという点である。アルデンテな人との対話は歯ごたえがあって好ましいものだが、そういう人物に出会う機会が少ないのは、ほどよく芯を残すのがいかに難しいかを物語っているように思われる。
日暮れて道遠し。午後三時からの時間の過ぎかたがやたらに早い。人生もたぶんそうだろう。同伴者がいるだけでもよしとしなければなりません。これからは道々もっと多くの同好者たちと巡り合えるよう出門したいと思います。
紫陽花や路銀たづさへ門を出づ 茶門
退職を決めたばかりの若い友人から「鈴木さんはなんで会社を辞めたのですか」と聞かれた。要領を得ない私の答えに続いて彼はこうつぶやいた。「僕のやりたいことが会社より大きくなってしまったんですよ」。気負いや衒いを微塵も感じさせない彼のつぶやきにすっかり感心してしまった。たしかに「自分のやりたいことが会社より大きくなってしまったとき」これは潮時と考えてもいいのかもしれない。満潮の証しと言えるかもしれない。
自宅と仕事場を切り分けてから昼夜の区別が明確になった。その一方で、またしても休日と平日の境があいまいになってしまった。休日は仕事場に来ないと決めてしまえばいいのだが、自宅用のパソコンをまだ買っていないため実行に移せずにいる。自宅にパソコンを置くと、今度は昼夜の区別があいまいになりそうで、いや、なるに違いないので購入に踏みきれない。自宅にパソコンがないことで、夜中は読書と考えごとに集中できる。最近この時間が貴重に思われてならない。
晴天。現在は空き部屋となっている立方庵のかび落としを家人がやってくれた。窓を開け放して部屋を乾かす。多摩美から届いた荷物とデータをさてどう捌いたものか。手をつけるとなるとそれ相応の手間はかかりそうだ。自宅に持ち帰ってやるかどうか、迷う。
ごたごた荘運動会。綱引きに飛び入り参加。園庭で昼食をとり、ほんのすこし成長した子供たちの姿を遠まきに眺める。レタースペースで雑用を片付けそろそろ帰ろうかという暮れ方、にわかに上空一帯が黒い雲に覆われはじめた。慌てて自宅に戻ったおかげで夕立ちにはやられずに済んだ。サーモンマリネでご飯一杯、そのあとカレーで一杯。なんかへんな取り合わせ。
「足りないくらいでちょうどいい」を言い表わすのに、和敬静寂よりふさわしい言葉を忘れていた。余情残心。どちらも茶の湯の要諦です。
近所のヤマダ電機へ自転車を走らせて複合型カラープリンタを物色する。三機種ほど目星をつけていったのだが、一長一短どれも決め手に欠けるため見送ることにした。と思った矢先にHPからコンパクトな格安プリンタが発売された。モノクロ印字がきりっとしていたら買いです。
一月から三月までは仕事に追われ、四月五月はたくさんの人に会った。六月も会合続きのミーティング月間になりそうである。出かけるのと来てもらうのと半々くらい。責任が増しつつあるので最近は人と会ってもお酒の量を減らすよう心がけている。ちょっと飲み足りないな、すこし話し足りないな、くらいでちょうどいいのかもしれない。和敬静寂。しかし時には徹底的にやりますので宜しくです。