Type Project —visible, but invisible.

2005年03月31日 木曜日

四年間通ったごたごた荘も今日が最終日。最初の一年は妻が送り迎えをし、次の一年は私がお迎えを担当し、最後の二年は息子をごたまで送り届けるのが私の日課だった。朝子供たちとじゃれあって、すっきりした頭で仕事場に入るという日常がもう日常ではなくなる。どぎまぎするようなことも何度かあった。ごたごた荘を去ることになった女の子が、ある日すれ違いざまぎゅっと私の手を握った。顔も見ずにである。そのぎゅっという強さがそのまま心をつかまれたような感じで今も忘れることができない。それからもう一件。こちらは二歳の女の子にどぎまぎさせられた話し。私の膝の上に座った女の子が、やおら振り向いて私の頬を両手ではさみつけた。つぶらな瞳で私を見つめ、「りょうのおとう」とつぶやくのを聞き、瞬間(やられる)と思ったものの、ええいままよと覚悟を決めて目をつぶりかけた。そこに彼女の顔がゆっくりと近づいてくる。そうしてちょこんと触れ合ったのは、彼女の鼻と私の鼻だった。満足した彼女は何事もなかったように私の膝を離れ、ほかの女の子と遊びはじめた。これからそうした「ちょこん」や「ぎゅっ」がなくなるのは、ちょっぴりさみしい気がしないでもない。ごたっ子のみなさん、ひとまずさよならです。

2005年03月30日 水曜日

昼すぎに豊洲の集会所へ。多摩美グラフィックのタイポグラフィ担当講師四人が昨年度の参考作品を持ち寄って学内展示会の打ち合わせ。参考作品の評価基準と展示の効果測定をどのように行なうかを討議した。テキパキとした進行ぶりはたぶんそのあとのお酒が楽しみなため。締め切りにはなんとか間に合ったし、体調もまあまあ、大いばりでエビスの黒生を飲み、貝の盛り合わせを注文したわけです。

2005年03月29日 火曜日

三月は地獄のワークロード月間、パンとメンの日々であった。居残りで独り補習授業を受けるような気分で、早朝から深夜までどっぷり書体制作に漬かった。いくつかの誤算が重なったせいもあり、かつてないほどハードなスケジュールをやりくりしてきた。締めきりは明日。のるかそるか。深夜にすする鱈と白菜のスープのうまいこと。

2005年03月28日 月曜日

十年ぶりにワーキングチェアを買い替えた。コクヨのAGATAというシリーズの椅子で、そのなかの" D" タイプを購入した。私の体格にはやや小さかったかもしれない。久しぶりの買い物を楽しみつつレタースペースのワークプレイス化を進めている。10.5畳が手つかずで、いまだに「立方庵」で仕事をしているのがちょっと情けない。

2005年03月27日 日曜日

アスクルで最初に買ったのは、妻が新居の仕事場で使う椅子だった。そして二番目の買い物も椅子で、こちらはレタースペースで使うノートパソコン用のもの。今日仕事を手伝ってもらう多摩美の学生さん用に購入した。椅子の背面が天板になって、机としても使えるようになっている。スタッキングは6脚まで可能で、シンプルな機構と佇まいが気に入った。ストレートな製品名で「シートテーブル」という。

2005年03月26日 土曜日

ごたごた荘「旅立ちの会」。いわゆる卒園式の日である。今年はついに当事者の親として参加した。十中八九泣くだろうと覚悟してきたのだが、意外にもドライな気分で実にさっぱりとしたものであった。あれがもし自分だったらという共感体勢がもらい泣きを誘発していたのだと思う。はやく旅立っちゃいなさいというくらいの気持ちだ。泣けなくてむしろ残念である。しかし今日が雨でなくて本当によかった。涙が出なくってそれでよかった。快晴に感謝。

2005年03月25日 金曜日

朝、強風にあおられ小雪が舞う。新しい大家さんとの家賃交渉に臨む。風花がやめば真青な御空なり。書体制作終日。

2005年03月24日 木曜日

とにかく今月はいろいろな事が次から次へと起こり、消化不良の状態が続いている。今日も「初期不良」電話器を購入店に返品したり、その他事務処理などでいっこう書体制作のペースが上がらない。うう、またお腹こわしそう。

2005年03月23日 水曜日

朝ごたごた荘で体重を計ってみたら5キロ痩せていた。一日1キロずつ減量したことになる。空っぽの胃腸はむしろ爽快。衰えた体力を取り戻すまえに書体制作の遅れを取り戻さなければならない。

2005年03月22日 火曜日

レタースペースで味噌煮込みうどんを作って食べる。たっぷり入れたネギとワカメが半熟玉子と濃いめの味噌にほどよくなじみ、抜群の出来ばえであった。食欲は戻りつつあるのだが、アルコールはおろかカフェインをいっさい受けつけず、お茶は麦茶をちびちび飲むていど。ブルーベリーの蜂蜜漬けをお湯で割ったものを飲むようにしている。見た目はほとんどワインです。

2005年03月21日 月曜日

体調やや改善の兆しあり。五苓散をとる回数を増やしてみてくださいという北田医師のアドバイスに従う。AXISフォント試用版登録者の「がんばってください」という何気ないコメントがふだんよりずっと染みます。

2005年03月20日 日曜日

座っているのがやっとのような状態が続いているが、食欲はすこし戻ってきた。本当に必要な成分の入った食品群と、本当に食べたい食品群を考え抜くことなんてこんなときぐらいだろう。脱水症状防止のためのアクエリアスと北田医師からすすめられた五苓散という漢方薬が前者で、後者は野菜スープやうどんの類い。へなへなです。

2005年03月19日 土曜日

池袋方面で大事な会合が三つ。その一つひとつが成り行きによってはタイププロジェクトの今後に少なからぬ影響を与えるような、そんなちょっとした「賭け」を伴う会合だった。うち一つは変化をもたらす可能性が低いと判明。一つは前進、一つは保留という感じだろうか。賭けに臨むにはインスピレーションの助けが必要なわけだが、あいにくの下痢で迸るべきものが何もない、まったく無謀な賭けだったかもしれない。

2005年03月18日 金曜日

我が人生最悪の下痢。想像を絶する規模の下痢である。本来固形物であるべきところのものが完全に液状化しているとはいかなることか。蛇口をひねるがごとくダムが決壊するがごとく。

2005年03月17日 木曜日

さきおとつい、裏の家を外から物色していた不審者をつかまえて交番まで連れていった。昨年9月に見た怪しい男と同一人物のようだったし、このところ周辺で放火が相次いでいたのでためらいはなかった。この一件をきっかけに、これまで挨拶を交すていどだったご近所さんとも密にコミュニケーションを取るようになり、コミュニティの結束力こそが犯罪抑止力につながるのかもしれないなと思った次第。その夜捜査官からの電話で、男が下着泥棒だった(未遂ではあるが)ということが判明した。

2005年03月16日 水曜日

原稿一本書き終わる。字数は八百字程度なので大したことはないのだが、かなりヘヴィな書籍の紹介文だけに「どう書くか」に苦慮した。午後二時すぎ多摩美の学生がレタースペースに来たる。仕事を手伝ってもらいながらタイプデザインの勘どころを教えている。前回の説明がダイレクトに文字の出来に反映されているのが頼もしい。文字のどこを「どう見るか」、それを「どう説明するか」というHowの部分がたいへん重要なのだなということをあらためて認識した。作業が夕刻に及んだため自宅に招いて家族と一緒に夕食をとってもらった。青島ビールをちびちびやりながら、自家製テンメンジャンをたっぷりぬって白髪ネギをはさんだ自家製チャーシューをがしがし食べる。そういえば彼は引越し前の自宅の最後の客人であり、引越し後の自宅の最初の客人ということになる。

 春の夜や客を送るに地震雲     茶門

2005年03月15日 火曜日

石神井公園駅前にて、岡澤、青柳、佐賀の三氏と飲む。最年長の私から最年少の佐賀さんまで順にちょうど三つずつの年齢差がある。九時半にはお店をひけて「工事中」のレタースペースにお連れした。四畳半の元仕事部屋(今もまだこの部屋で仕事をしているのだが)の床に車座になり、文字とデザインの周辺を静かに語り合う。それぞれ仕事を持ち寄ったことも手伝って、いっそう親密に四人の思いと体温を感じることができた。ツデイはまだしも、RM-1000 を話題にして説明が不要とは、まったく文字好きな野郎共というほかない。

2005年03月14日 月曜日

先週から大事が続いている。引越し、インフルエンザ、引越しにまつわる諸々の手続きや整備。一昨日には、レタースペースの大家さんが亡くなったことを近所のおばさんから聞かされた。亡くなったのは引越しの翌日、私と息子が名古屋に行った日、息子が一晩かぎりの高熱にうなされている時のことだ。七十過ぎには見えない頑強な体躯をした大家さんは元植木屋職人で、裏庭の草むしりを黙々とやっていたことを思い出す。大きな麦わら帽子がトレードマークだった。通夜はおろか告別式にも出られなかったことが悔やまれる。

 主なき洗濯物の干さるゝはことさら白く梅は散るなり     さもん

2005年03月13日 日曜日

昼食を済ませ子連れの日曜出勤。これまでは365日24時間体制で仕事をしてきたわけだが、これからは移動という一拍、休日という休符が入ることになる。新たなリズムとテンポによる生活はまだ始まったばかりなので、ぎくしゃくした感じは否めないけれど不安はない。

2005年03月12日 土曜日

昼すぎに名古屋を発つ。自宅へ戻るまえに引越し後手つかずのレタースペースに立ち寄った。郵便物に目を通し、留守番電話数件を聞き、メールの返信を書いていたらあっという間に夕暮れどきだ。自宅に帰って夕御飯を済ませ、風呂から出るともう手持ち無沙汰である。この生活空間でどういう時間の使い方をするかゆっくり考えることにしたい。とはいえゆっくり考えるにはどの場所が適当なのかも分からないので今晩は早く寝てしまうことにしました。

2005年03月11日 金曜日

「へたをすれば一週間安静です」と医者に言われて帰京の見込みがつかない状況だったのだが、薬がよく効いたのか平熱近くまで熱は下がった。とは言えきょう一日はとても動かせない。子供の容態をみつつこちらに持ってきた宿題を進める。

2005年03月10日 木曜日

明日の予定がキャンセルになったので帰京を早めようかなと考えているあいだに息子がインフルエンザにかかってしまった。夕方病院に連れて行ったときには40.3度の熱。かなりしんどうそう。

2005年03月09日 水曜日

新居の片付けを妻に託して息子と二人で名古屋へ。愛知芸大の卒展をグラフィックを中心に観たあと、来年に向けた修了制作のテーマとスケジュールに関する会合を岩井君ともち、名古屋在住の同期生ともひさしぶりに飲み語らう時間をもつことができた。十一時すぎに店を出たにもかかわらず、終電に間に合わない人が続出。開通して間もないあおなみ線の名古屋発の終電は11:36。愛知万博間近といえどあいかわらず早い名古屋の夜である。語り足らなかった友人のみなさま、次回は東京でホスティングさせていただきます。

2005年03月08日 火曜日

引越しが終わった。予定より一時間早く業者がやってきて、五十分で荷物を積み、十分で新居に到着し、五十分で荷物を下ろし、万事滞りなく完了した。家族三人の家財道具一式が2トン車一台で十分というのはかなり少ないと思う。これで旧自宅のほうは四畳半の仕事場を残してほぼ空っぽの状態になった。「レタースペース」をどう埋めるか、いやいや、どう空けておくか。ガランドウの空間に佇んでしばらく思いを巡らせた。

  引越の荷や片隅に梅冴ゆる    茶門

2005年03月07日 月曜日

髪を短く切ってきた。新居の掃除は家人に任せ、複数の締め切りをどうやってやり繰りするか考えながら仕事を進める。昼に味噌ラーメンを食べながらテレビを見ていると、今井美樹を起用したポーラ化粧品の新しいコマーシャルが目に飛び込んできた。もしやと思って終わりまで見てみるとやはりそうだった。「肌に美しい未来を」というコーポレート・スローガンのために作ったロゴタイプが使われていた。こういう瞬間は本当に嬉しい。プレゼンの場で社長の口から「凛とした」という言葉が何度も出てきたことを思い出す。どんでん返しの案の採用だった。「凛とした」なんて、抽象的で難しいリクエストのように思われるかもしれないが、作る側からすれば、中途半端に具体的な指示が出されるよりかえってやりやすい。実際いくつかの案を妻に見せて「凛とした」というキーワードで選んでもらったら、ぴったり社長が選んだものと同じだった。修正や詰めの作業でもこの言葉が手がかりとなり確信を持って作業を進めることができた。凛とした、か。朝一番で散髪に行っておいてよかった。

追記:ポーラ化粧品のサイトでAXISフォントが使われています。トップページの今井美樹さんの顔をクリックしたあと、ページ下段の「TV CM WHITISSIMO
" 憧れの肌 " 篇」をクリックしていただくと「肌に美しい未来を」ご覧いただけます(読み込みに少々時間がかかります)。

2005年03月06日 日曜日

引越しの準備が佳境にはいってきた。それにしても本というやつは、ひとたび書棚を離れると、どうしてこうも収拾のつかない物体と化してしまうのだろう。乾燥ワカメのように膨張し、暴徒のごとき様相を呈している。そして本は、書棚以外の場所に保管されたとき、その存在はなきに等しい。フロッピーケースのなかから、大量の未使用フロッピーディスクと共に久しぶりに目にする文庫本が出てきた。バラード、ディック、クラーク、ハインラインなど、偶然タイムカプセルを掘りあててしまったような、「時の声」を聴いてしまったような気分である。

2005年03月05日 土曜日

おにぎりを持って家族で新しい住まいへと自転車を走らせる。初めて新居を目にした息子は大はしゃぎ。私も小学一年生のときに引越しを経験した。基礎工事中の家らしき空間でおにぎりを食べたこと、私と弟よりも父と母のほうがはしゃいでいたことを憶えている。なんとも晴れがましい表情をしていた。人生何十年あるか知らないが、雪どけ水がきらきらするなかで食べた今日のおにぎりのことは忘れないだろう。

 雪解けや食みこぼしたる握り飯    茶門

2005年03月04日 金曜日

不動産屋の窓から見るともなしに降る雪を眺める。となりのテーブルでは子供が迷路をつくっている。大家さんと顔合わせをして、その場で賃貸契約を結んだ。すでに今月の1日から少しずつ荷造りを始めている。その前日の様子が右のコラム「レタースペースプロジェクト」でご覧いただけます。

2005年03月03日 木曜日

「もっとことばを!未来篇」を二週間ぶりに更新しました。件のアスクルカタログが届いたのは2月12日のこと。カタログを飽かず眺めた二日後の夕方、天啓のようにひらめいた。「自宅を引越して仕事場をここに残そう」。小学校が遠いことを理由に引越しをほのめかしていた妻にそのアイデアを話すと、それは名案という御墨付きを得た。この日を境に物件探しから物件の下見と仮おさえまで怒濤のごとく突き進んだ。実は最初妻から引越しの相談を受けたときは乗り気ではなかった。なぜなら、いま住んでいるこの場所がきわめて良い環境だからである。それだけに、ここを去りがたい気持と通学時間の短縮を両立させる折衷案を思い着いたときは本当に嬉しかった。1000ページのカタログを読みふける日々がしばらく続き、家賃倍増という現実を乗り越えるための方策を思案する日々はそうして始まったのです。

2005年03月02日 水曜日

わざとらしく右コラムの最下段に「Lプロジェクト」とありますが、つまりこういうことです。いま住んでいる平屋の一軒家を仕事場に仕立て上げるまでをプロジェクトにしてしまおうという計画です。"L" は、文字を意味するletterのL、レタースペースプロジェクトと名付けました。letter space はもちろん「字間」のことですが、「文字空間」とも「文字宇宙」とも読めるのがちょっとした自慢です。

2005年03月01日 火曜日

昨日予告した「表明」です。
引越しをします。自宅の引越しです。なあんだと思われたかもしれませんね。四月から小学生になる息子が通うことになる小学校がかなり遠いこと、いまの自宅兼仕事場が手狭になってきこと(本を置くスペースがないことはこの日記にも書きました)、このふたつがきっかけで引越しすることに決めました。ここからが表明の本番です。自宅は引越しますが、仕事場は引越しません。仕事場は現在の場所のまま、つまり生活の場と仕事の場を切り分けることにしたのです。職住一体のいまのスタイルはたいへん快適です。しかし、この快適さがクセモノで、身動きがとれない状態になるのではないかという危機感と、ひとりでやっている閉塞感を、この二年ほど強烈に感じ続けてきました。鋭い方は気づかれたかと思いますが、引越しとひとりの閉塞感は関係ありません。むしろ、家族がいない仕事場だけの空間のほうがより閉塞的ですよね。「タイププロジェクトの仕事場を共有スペースにすること」。これが僕の表明です。