ショーウン工房の作品展示をみるために「はらっぱハウス」へ。子どもたちが作った木工のおもちゃ・粘土細工の野菜・段ボールの恐竜などがずらりと並ぶ。照れくさそうにしながらも、ちょっぴり誇らしげに作品の説明をする子どもの姿を遠巻きに眺める。プレゼンテーションの原点ここにあり。
ショーウン工房の作品展示をみるために「はらっぱハウス」へ。子どもたちが作った木工のおもちゃ・粘土細工の野菜・段ボールの恐竜などがずらりと並ぶ。照れくさそうにしながらも、ちょっぴり誇らしげに作品の説明をする子どもの姿を遠巻きに眺める。プレゼンテーションの原点ここにあり。
朝コーヒー。午後ココア。合間あいまにお茶を喫む。何事も命あればこそだ。「この頃は一日の牛乳三合必ずココアを交ぜる」(『仰臥漫録』正岡子規)。
鬚剃るや上野の鐘の霞む日に 子規
亡くなる数カ月前に詠んだ子規の句である。享年36歳。いまの私の歳だ。
春の日や寞と鳴りたる鐘の声 茶門
亀田の海老うす焼とコーヒー。よく合います。友人が勤めているデザインオフィスの閉鎖を知らせるハガキが届く。文面はアクシスフォント。正規購入してもらったのはありがたいけど、初使用の場面がオフィス閉鎖のお知らせというのはちょっと複雑な気持ち。
昨晩の残りで昼食をまかなう。残り物といっても、コロッケ・タコワサ・イカの塩辛・きんぴらごぼうなど、酒のつまみ系がずらり並んだいつもよりぜいたくな昼の食卓とあいなった。さすがにビールは飲みませんが。
高知の日本酒をさげてショーウン来たる。二年目に突入するショーウン工房の広報担当にうちの嫁さんが指名を受け、その相談に訪れたというわけである。ショーウン工房初年度の収支はとんとん。それでも出来過ぎというショーウンの声は明るく、ショーウン券という地域通貨を置いて意気揚々と引きあげた。
夜中に咳が止まらず、起きだして薬を飲む。ここ数日そんな状態が続き、やや寝不足気味。朝こどもをごたごた荘に送って仕事場に戻ると、ゼーゼーハーハー、ヒューヒューゴロゴロなのである。今年はまだ花粉症の症状が出ていないが、もしかしてこの咳がそうなのかな。
今後のビジネスに直結する重要なメールのやりとりを二社とおこなう。それぞれ相互に影響を及ぼす事柄なので、簡単に結論を出すことができない。うち一通のメールがなんらかのトラブルで私のところに届いていなかった。先方から「届いていませんか」という確認メールがあったので事なきを得たが、もしなかったらと考えると恐ろしい。
昼から上野の東京都美術館へ。国際書道連盟展に出品している木村さんと立野さんのカリグラフィ作品を観る。2Fのレストランで、榎さん、小澤君、木村さんとゆったりとした昼食。子連れ客が多く、あたたかな日射しのせいもあり、メロンソーダがあちこちのテーブルで飲まれていた。しかしながら、大人4人という我々のテーブルに、3杯分のメロンソーダが並ぶのはどうかと思う。私のとなりに座った人が2杯注文したからね。
息子の友だちがうちに一泊。ごたごた荘でも一二を争うソフトなコンビだけに、手がかからないこと楽なこと。あんまり静かなので部屋をのぞいてみると、ふたりで黙ってカードなんかを並べていたりする。息子以外の子どもを風呂にいれるのは初めてではないけれど、やはりなんか妙なものだ。
夕方より両国タイプラボへ。いつもならば事務所で缶ビールを一本いただいて、ではそろそろという感じで飲みに出るのだが、きょうは佐藤さんも私もおなかがぺこぺこで、とるものもとりあえず近くの居酒屋へと飛びこんだ。熱燗、刺身盛り、串盛り、てっちり。しめて二千円少々。十一時前の帰宅というのも珍しければ、二件目をファーストキッチンでノンアルコールというのはもっと珍しい。
沈みゆく夕焼けの大きさに圧倒されながら自転車で息子を迎えに行く。昨晩から咳がひどくなってきたので、五虎湯という漢方薬をためしに飲んでみる。夕食にイカ大根。生姜や大根の汁も咳に効く、はず。
インタビュー記事の初校テキストとレイアウト原案のPDFに目を通す。読みながら自分の話しのつたなさにあきれてしまう。稲本さんといい、古賀さんといい、亀尾さんといい、ベテランライターに調理してもらわなければ、とても召し上がっていただけるようなものではない。
黙って人の話を聞くのはむずかしい。今日、重要な案件についての会合がいくつかあった。いずれの会合もこちらが聞く側に回らなければならないのに、興が乗ってくるとつい話しすぎてしまう。己を虚しうして、にはほど遠い。
仕事場にこもりきりというのはやっぱり良くないな。心も思考も全然開いていかない。どんどん閉じるほうにいってしまう。明日はほぼいちにち外だ。目と耳と頭と心を全開にするぞ。
『新日曜美術館』熊谷守一。熊谷守一の自宅を訪ねたときの感想を、白洲正子がこう綴っている。「私にとって、生涯忘れることの出来ぬ事件であった。事件というと、さも大げさに聞こえるが、実はその反対で、『平常心』というものの美しさに、生まれてはじめてふれる思いがした」。翁97歳の絶筆、「アゲハ蝶」。こんな瑞々しい絶筆は、そうはあるまい。
日がなテスト組版をながめる。夜は不調のiBookと格闘、未明に及ぶも復調せず。修理したはずの電源とバッテリーまわりがあやしい。
制作中書体の検討用資料を作成。テスト組版をすこし。ううう迷う。
お目当ての洋書をアマゾンで検索すると、よく別の本まで買ってしまう。この本を買った人はこんな本も買ってますよというあれが実にうまくできているのである。え、こんな本あったの?なのだ。最近は、表紙はもちろんのこと、目次や索引まで見られるので、ええい、買ってしまえ、アマゾンからすれば、ハイ一丁あがりなわけです。
ロボットの動きを真似てみたら息子にうけた。不思議なのは、まるで古くからの友人のようにロボットの存在を彼が受け入れていたこと。しかしながら、この優しくてちょっと間抜けなロボット君の言うことを、父親の言うことよりもずっと素直に聞きいれるという事実を、私は受け入れがたいのである。
頼みごとと頼まれごと。情報提供と情報供給。尋ねたり尋ねられたり。都合をつけたりつけてもらったり。電話とメールによるやりとりが集中した一日。おすそわけをしたりされたりして人は生きていくものなんですね。Tさん、例の自家製味噌は、里芋の味噌汁に使わせていただきました。名古屋人にはほどよい塩加減であります。
庭の白梅が咲いた。じりじりと這うように書体制作。すこし甘めのココアを飲む。
梅七輪それぞれ白の景色かな 茶門
先日の取材撮影で肖像写真がうまく撮れておらず、夜の神楽坂毘沙門天にて撮影会。運転免許証の写真より小さな扱いになると思います。そのあと別件で神楽坂鳥茶屋にて新年会。
納豆ごはんにイカと腸とネギを焼いたものを乱暴に混ぜ合わせ、口中へとかき込む。いくらでも食べられる。寒さのもどった一週間。まだしばらくは湯たんぽを手放せない。
フリーランスのコンテンツディレクター亀尾さん、取材でタイププロジェクトの仕事場に来たる。一時間の予定が三時間。質問される側の私があれこれ質問してしまうのがいけない。「名残り惜し」くらいがちょうどいいのだけれど、文字の話題となるとなかなかそれが。名残り惜しどころか、果てしなし、なのだ。
池袋サンシャインで開催中のPAGE2004へ。フォントベンダーの出展は5社。ひところのようなディスプレイ書体はまったくといっていいほど影をひそめた。リョービの本明朝Bookと伝統書体シリーズ、フォントワークスの筑紫明朝、モリサワのアンチックかなとリュウミン小がな・オールドがなと秀英3号・5号かな、大日本スクリーンの「日本の活字書体名作精選」仮名9書体、イワタの弘道軒清朝体と宋朝体。つまり出展した5社すべてが伝統的な書体で打って出たのである。今年のPAGEは、原点回帰の年といえるだろう。
未明に地震。おかげで頭しゃっきり。『フォントスタイルブック2004』が届く。1つの書体ファミリーだけで組んでいるのはタイププロジェクトのみ。だってそれしかないんだもの。パッケージの写真を大きく扱ってもらえたのはよかった。『ブレーン』今月号の特集に、AXISの宮崎さんが登場。こちらはカラーでAXISフォントのパッケージ写真が掲載されていた。
書体制作の難所に足をとられ、思うように前に進めずややウツ気味。就寝まえの息子とやるトランプ遊びがせめてものなぐさめ。勝っても負けても気分がほぐれる。鬼は〜外、鬱は〜内。
最近当りだった居酒屋三軒が、いずれも同じようなサイズで、同じようなつくりをしていたことに興味を持った。ひとことでいえば、適正規模というものに思いを致した。ひとりの人間が気を行き渡らせることのできる範囲なんてたかが知れているのである。目玉のメニューに出身地の食材を使っている点、板前さんと女将さんが二人で切り盛りしているという点も共通している。そう、そこがミソであり、ダシであり、風味なのである。
如月ついたち。あたたかな朝。梅の木に時々メジロがやってくるようになった。春はなぜだか焦燥感に駆られる季節である。体内の気の巡りが、春の訪れに呼応しているのかもしれない。もぞもぞ。そわそわ。春が来ようが夏が去ろうが、書体制作完了までは穴蔵から出られそうにないのだけれど。