快晴。穏やかな日和。風邪による腹痛。仕事場と御不浄を往復することしきり。ふかしたさつま芋半ヶ。二月尽。
旅人のおのが草鞋も霞みけり 茶門
快晴。穏やかな日和。風邪による腹痛。仕事場と御不浄を往復することしきり。ふかしたさつま芋半ヶ。二月尽。
旅人のおのが草鞋も霞みけり 茶門
風の強い一日。満開になった庭の梅。ことさら激しく揺れる一枝に目が留まる。長さからするとその枝は細すぎるのだ。まっさきに花を散らすのだろう。
白梅の一枝しきりに揺るゝなり 茶門
子供の風邪をもらったようで頭と体の節々が痛む。葛根湯を飲んで布団に入ったが、やらなければならないことが頭に浮かんできて眠れない。もぞもぞ布団から這い出てパソコンの前に座る。口は半開きの状態。
快晴。いくつかの決心をしたことによって、いくつかの安心を得た。不安の多くは保留からもたらされる。不安と安心はコインの裏表なのだから、不安とうまくつきあう術を覚えるほかない。得るための決心よりも捨てるための決心を。
我がものと思へば軽し笠の雪 其角
雨から霙、霙から雪へ。午後から六本木アクシスビルにてAXISフォントの契約と販売に関する打ち合わせ。帰りに新橋で友人と一杯。焼き鳥のセットにとろとろのレバーとコリコリのつくねを追加。
新コーナー「一問一答」を開設しました。第一回目の問答相手は、AXISフォントの欧文タイプデザインをお願いした小林 章さんです。
最近出版された『Designing Typeface』という本にも、欧米で活躍するタイプデザイナー11人に小林さんが取り上げられています。
今年の冬はなんだかとてもながい。寒中見舞いでも不自然でないような寒さだ。どなたさまも、おからだご自愛ください。B型インフルエンザ用の薬は、初期のうちに飲むと効果大だそうです。
「へんな帽子〜、うんこ帽子〜」。朝ごたに顔を出すと、私の茶色い毛糸帽子を指してこう連呼する女の子が二人いる。それを見ていた息子が不機嫌そうな顔つきで私に体を寄せてきてささやいた。「おとう、そんなふうに言われたんだったら怒ってもいいんだからね」。四歳の子供にとっても、親がけなされるのは我慢ならないらしい。いや、幼いからこそと言うべきか。と書いているうちに、息子がふたたびインフルエンザを発症したようだという連絡がごたから入り、とんぼ帰りに子供をピックアップして、病院で薬を処方してもらうという慌ただしい午前となった。
さもん
吾子(あこ)眺む吾がまなざしはそのままに吾を見し母のまなざしなるか
手が賢い。隣室で作業をしているパートナーの仕事ぶりを見て、ふとそんな言葉を思いついた。先日ある額縁屋さんから、かさばらない梱包材を考えてほしいという依頼があり、その課題にスマートに応えたパッケージが出来上がっていた。考えながら物を作るとき、考えているのは手のほうかもしれない。お見事。
サード・プレイス。自宅でも仕事場でもない「第三の場所」。ながらく近所に探し求めていたサード・プレイスの候補地がようやく見つかった。広いテーブルと明るい店内、長居できそうな雰囲気と冷めにくい厚手のコーヒーカップ。好みの味ではないけれど、まずくないコーヒーが150円。読書や書類作成をするにはもってこいだ。なぜそういう場所が私に必要かといえば、ここには人がいる。
「会社行きてえ〜〜〜」と叫んだことが一再ならずある。先日もメールソフトのトラブルの原因が分からず獣の声をあげた。終日一室にこもり、一人黙々と作業する生活に慣れるまでには随分時間がかかった。会社へ行きたくない方、お読みになってますか? 学校へ行きたくない方は、学校のない国に「留学」されたらよろしい。勉強したくなること請け合いです。私にとって、通勤も通学もしていない今が、もっとも勤勉な時期のように思われる。人から強いられない分だけ楽なのか、辛いのか。通勤から遠ざかって丸三年。満員電車のストレスから逃れられた一事をもってよしとしたい。
韓国の地下鉄火災。八年前の地下鉄サリン事件を思い出す。現場のひとつでもある神谷町駅は、当時私が通勤で乗降していた駅だった。あの日私は京都にいて、見なれた風景が、見たことのない光景になっているのをテレビ中継で見ていた。
モリサワ賞タイプフェイスコンテストの入賞作品集が届いた。20年続いたコンテストもこれが最後となる。ヨアヒム、木村さん、入賞おめでとうございます。
和文部門銀賞 西塚涼子におくる
梅が枝(え)に汀(みぎわ)こたふる微風かな 茶門
慌ただしく名古屋を後にし、東京へ戻る。大量のメールをチェックし、重要なファックスを読み、郵便物の要不要を振り分ける。
子どもを実家にあずけ、妻と二人で名古屋在住の友人たちと昼食。白木先生、ナオキ、チェさん夫妻、垂見、タカシ、さっちゃん、もりの、プラス子供が5人。賑やかな同窓会となった。夕方からは、芸大の助手をつとめるナオキの官舎へお邪魔して、大阪から車で駆けつけてくれた西村兄ちゃん、純ちゃん、友二と酒盛り。途中ヤブとちーちゃんも加わり、最後は雑魚寝。
今日から三日間名古屋に帰省する。五ヶ月ぶり。友人にもたくさん会えそうだ。不調のiBookは携行しないことにした。名古屋での夕食は、エビフライとホタテフライに、父と母が耕した小さな畑でとれたごぼう、さつまいも、ねぎ、菜の花、落花生など。
先日、NHKにチャンネルを合わせたら、ちょうど『夢の美術館〜国宝100選』のエンディングをやっていた。国宝が大写しにされ、バックに尺八の音が流れている。古色蒼然たる仏像仏画には、なるほど琴でも笛でも鼓でもなく、尺八しかありえないなと思わせる説得力があった。頭蓋に響く尺八の息吹に思わず姿勢を正して聞き入った。古今東西あまたある楽器の中で、奏者自身がもっとも恍惚となれるのは尺八ではなかろうか。虚無僧は、編笠の下でひたすらに尺八を吹き、喜捨を得、同時に恍惚さえ我がものとしたはずである。先の番組ホームページで、国宝の人気投票がおこなわれた。三位 風神雷神図、二位 阿修羅立像、一位 弥勒菩薩半跏像。日本の国宝の第一号として指定されたのも広隆寺にあるこの弥勒菩薩像だった。
寒灯や弥勒菩薩の鼻のすじ 茶門
坐禅をしない禅僧は虚無僧だけである。「ただひたすら坐れ」など馬鹿ばかしいと思ったか、どうか。
うす暗く寒い朝。大風にまぎれて芥子粒のような粉雪が顔を叩く。立春以降、五寒二温くらいの割合で寒暖をゆきつ戻りつしている。春も逡巡しているのだ。
春雪や文(ふみ)には書けぬこと多し 茶門
寝物語。と言っても相手は四歳の息子。私が物語りするのではなく、彼の即興昔ばなしである。「ある夜の晩のことでした」というお決まりのフレーズが笑える。
ものゝけの寝物語や春の雨 茶門
某大手都銀のインターネットバンキングを解約した。融通のきかなさ加減に嫌気がさしたのと、インターネットならではのメリットをほとんど感じなかったためである。ネットでの解約はおそろしいほど簡単だった。どれくらい簡単かというと、自分の口座にアクセスして2クリックで解約手続きが完了してしまった。解約でよいのですね、というアラートも出てこない。この時点で私は自分の取り引き明細を確認する手段を失っているので、いそぎ当該銀行の窓口に赴きインターネットバンキング解約の旨を告げ、新たに通帳を作成してもらうための手続きをしようとした、が、やめた。通帳を再発行してもらうための手数料1,050円という金額にひるんだためである。本人が明細記録を確認できる他の手段はないだろうか、いや再発行しかないという押し問答の末、後方で眉間に皺を寄せ、腕組の姿勢で成りゆきを観察していた支店長らしき人物が、こちらに近付いてきてこう言った。「けっきょくお金を払いたくない訳ですよね」云々。「お金を払いたくないのではなく、お金を取られたくないのだ」という屁理屈が喉元まで出かかったが、思いなおして呑み込んだ。次回、丁重に口座を閉じさせていただきます。閉口。
夜半から明け方にかけて強い雨。起きてみれば快晴。うららか。ボールを持って子どもと三宝寺池へ。陽当たりのよい場所の紅梅はもう八分ほど咲いている。亀、鴨、鯉はお馴染みの顔なのだが、鵜とおぼしき鳥を見たのは初めてである。河鵜であろうか。
鵜が潜り大鯉の浮く春の池 茶門
以前は手も足も出なかった本が、あることに興味を持ったおかげでぐっと身近になっていることがある。白洲正子『西行』、大岡 信『うたげと孤心』、唐木順三『日本人の心の歴史』、いずれも途中で放り出したか、かなりいい加減な読み方をしてきた。三冊とも晦渋でないばかりか、読み進めてみればこれほど手際のよい語り口もないのではと思わせる。『西行』の解説を書いた福田和也氏の言葉を借りれば「数奇即菩提」、心の動くに任せて筆を運ぶがごとくである。私が興味を持ったあることとは、連歌俳諧、とりわけ芭蕉に依るところが大きい。芭蕉の一途は、直接に西行へと連なり、芭蕉の俳諧と西行の和歌をつなぐ紙縒(こよ)りを前と後に延長すれば、それはそのまま「日本人の心の歴史」でもある。「宴と孤心」を触媒とした紙縒りは、思いのほか頑丈なのかもしれない。
西行
何となく軒なつかしき梅ゆゑに住みけむ人の心をぞ知る
人も見ぬ春や鏡のうらの梅 芭蕉
天気が良くて暖かければ、それだけで気分は少し上向きになる。花粉症を自覚してこのかた、春を待ち遠しく思うことなどなかったが、今年は違う。春が恋しい。
やんはりと言葉いづるや梅の花 茶門
今年に入って初の仕事が舞い込んだ。健康食品のロゴ。期限は一週間。無事終われば名古屋へ里帰りだ。立春は過ぎたけれども、鍋物がうれしい冬の寒さはまだ続いている。
葱忘れ踵(きびす)をかへす男かな 茶門
ウサギとカメ。不器用というディスアドバンテージが、持続するというただそれだけのことで、いつの間にかアドバンテージにかわっている人がいる。昨日友人の個展を観た。私よりいくつか若いこの友人は、「不器用のアドバンテージ」を地でいくような人である。高校生の頃の彼女のことを思い出してみると、その足取りといい、発言といい、今と変わらず大袈裟なところがなかった。「ヒトミちゃんてすごいよね」と周りの友人が言うとき、真顔で答える彼女の「え、わたしってスゴイ人なの?」は、爽快でもある。ともに名古屋の美術研究所で育ち、同じ愛知県の芸大に通った私としては、彼女のこれからを遠巻きに見守るばかりだ。個展会場近くの新橋の炙りもの屋でささやかな祝賀会を催した。逗子からノブ君と谷さんが駆けつけ、木雲、服部、リカちゃん、皆どちらかといえば周回遅れの、つまりは「亀派」の面々が集まった。友人とのつき合いは、濃さより長さに軍配が上がる、と最近よく思う。
この年もまず一輪より梅白し 茶門
摂食障害による心不全でカレン・カーペンターが亡くなって、今日でちょうど二十年になる。享年32歳。立春に痩せて死にたる人のあり。この寒さのなか、庭の白梅が一輪だけ咲いている。 カレンに捧ぐ
痩身のうたごゑかなし忘れ霜 茶門
佇めば遥かなる人梅の影 同上
節分。所用にて鬼と修験道に関する本を走り読み。羽黒山、月山、湯殿山を、現在、過去、未来に対応させた羽黒修験が面白い。現在、過去、未来は、さらに観音、阿弥陀、大日如来に照応する。つまり羽黒修験とは、単に地理的な移動がおこなわれるだけでなく、むしろ時を巡る旅というべきもので、擬死再生を目的としたイニシエーションなのである。秘所と呼ばれる場所はさすがに厳しい気配を漂わせているが、山形市内から望む出羽三山はやさしい表情をしている。山形はなんといっても芋煮がうまい。野外、店、民家、どこで食べてもうまい。春先に飲む日本酒なら出羽桜。東北を代表する吟醸酒である。まずはお手頃な吟醸「桜花」を貝か白身魚の刺身とともに。
豆撒くや内なる鬼もあらんかな 茶門
どす黒き記憶が瞼こじあけり腸しぼる指さへみゆる いさを
なんとなくといった程度ではあるが、お世話になった人の年齢は気になる。気になりつつも、ご高齢の方にとっては誕生日が嬉しくない場合が多いので、結局のところ何もしない。今日、鎌倉の恩師が72歳の誕生日を迎えられたはずだ。先日の北鎌倉でのお礼の手紙を送っておいた。誕生日のことにはふれていない。手紙の一番の目的は、次なる遊びへのお誘いである。木雲さん、座がはじまる心構えのほどはよろしいか。
タイプコミュニティを通じて一年のあいだ交遊を温めてきた大阪在住の欧文タイプデザイナーと飯田橋で初顔合わせ。凸版印刷博物館『ドイツの最も美しい本』展を観る。岡野さん、まったく良い一日でした。新しい風と光を有難う。
如月の朔日といふ光かな 茶門