Type Project —visible, but invisible.

2002年11月30日 土曜日

なんとか風邪をひかずに十一月を乗り切った。のどがちりちりしてきたらすぐに梅干しを齧り、熱い中国茶を飲む。これが効いた。速効性もある。ごた保育士、山田さんお手製の梅干し。

2002年11月29日 金曜日

始動から一ヶ月半が経過した「はらっぱハウス」。大工修行講座、読書クラブ、リコーダークラブ、古本市、大根キムチづくり、手作りフォトフレームなどさまざまな取り組みが企画され実現されている。手先が器用な私のパートナーも「手作りリース講座」の講師に駆り出された。今のところ参加申し込み人数はゼロ。こうした「手作りごころ」を萎えさせる最大の敵は100円ショップ。買ったほうが安いじゃない、となる。

2002年11月28日 木曜日

アクシス社から某電機メーカーのパンフレットが届く。AXISフォントを使ってほしいと遠回しにリクエストがあったそうで、アクシス社内でデザインされた。社外にフォントが流通しないよう厳重に管理が行われてきたようだが、来年からは「エクスクルーシヴからオープンへ」をキーワードに完全に方向転換を図る。AXISフォントの試用版を実際に使用した例などありましたら、教えていただけると嬉しいです。

2002年11月27日 水曜日

アラン・ケイのヒューレット・パッカード社入りが正式に発表された。彼はインタビュアーにこう答えている。「コンピュータ革命はまだ始まっちゃいない」

2002年11月26日 火曜日

快晴。砂時計の砂は残り少なくなってくると急に速く落ち始めるように見える。師走が近い。

 さらさらとこぼれていきよる十一月

2002年11月25日 月曜日

雨。エスクァイア最新号と買いそびれていたアクシス100号を購入。どちらも通常号より3割ほどページ増。昔は少年ジャンプ新年合併号のぶ厚さに胸踊らせたものだった。あの「待ち遠しさ」がなつかしい。

2002年11月24日 日曜日

昨日、凸版印刷博物館で展示入れ替えがあった『1960年代のグラフィズム展』へ。前期の内容より印象が弱い。1960年の世界デザイン会議から64年の東京オリンピックにかけて、日本のデザイナーのエネルギーの昂まり方が尋常でなかったことがよく分かる。個人は熱く、チームプレーにも篤く、デザイナーの層も厚い。展示をあらかた観終わったあと、岡澤研の大熊さんが持ってきてくれた中村不折の『龍眠帖』を竹下君、岡澤君と共に見る。復刻版ではあるが、明治書壇を賑わせた法帖、実寸では初見。奥付には明治41年発行、発行者 河東秉五郎とある。ためらう不折を口説き『龍眠帖』を出版させ、見事大成功を収めたのを機に「龍眠会」を結成した腕っこきの編集者。17歳の虚子に子規を引き合わせたのもこの男だった。俳号のほうが通りがよい。碧梧桐という。以前木雲から碧梧桐の書の展覧会の知らせをもらったが見逃した。有季定型から無季自由律へ、さらには奇なる俳句「ルビ付俳句」に辿り着き、還暦の歳、自ら落伍者を名乗り俳壇を引退。その後書家として生きることを宣言し、次々と奇なる書を生み出した。そのなかには「ルビ付書」もある。伝統俳句を貫いた虚子は、前衛俳句に散った旧友を悼んで次の弔句を詠んだ。

 たとふれば独楽のはじける如くなり   虚子

 思はずもヒヨコ生れぬ冬薔薇(そうび)    碧梧桐

2002年11月23日 土曜日

今晩の『国宝探訪』は利休の待庵。「丸みを帯びた黒楽茶碗『ムキ栗』の角は、待庵の室床(むろどこ)そのものです。上から覗き込むと深い井戸のようでぞくりとします」。楽家十五代目、吉左衛門さんの言葉。「待庵の内部空間は、苦味の効いたチョコレートをほどよくかけたプチ抹茶ムースのようでおいしそうです」という感想を持った自分が恥ずかしくなった。

2002年11月22日 金曜日

甲骨学揺籃期に活躍した羅振玉、王国維、董作賓、郭沫若の四人には、それぞれ雪堂、観堂、彦堂、鼎堂の号がある。のちに甲骨学を志す者は「四堂」を仰ぎ、自らの号に「堂」を付けるようになったという。『日本漢字学史』を著した岡井慎吾は「柿堂」と号した。四堂と柿堂、どちらも「しどう」と読む。洒落てる。

 一堂に碩学集ふ炬燵哉

2002年11月21日 木曜日

Mac品定め。eMacかiMacか、はたまたiBookか。近所のPCデポで実物を比較してみようと思い立ち、夕刻出掛けるも店内工事中。ホームページで調べてみると、近隣の大型店舗への統合のため閉店とある。プリンタ用紙やケーブル類、ノートPC用のカバンやソフトウエアの購入など、頻繁に訪れていただけに残念。肝心のパソコン本体や周辺機器に関しては、品定めに利用していただけの私にも責任有り。自転車で三分という距離は実に快適だった。

2002年11月20日 水曜日

ギンザグラフィックギャラリーからハーブ・ルバリン展の案内が届く。60年代のニューヨークを華麗に彩ったタイポグラファ。山城隆一も花森安治も、彼のように文字に淫することはなかった。没後20年となる展覧会は、12月4日から21日まで。

 唐土(もろこし)の文字疎ましき冬ごもり

2002年11月19日 火曜日

年のせいか寒さのせいか動作があやしい。腰痛持ちの私の動きもあやしいが、丸5年苦楽を共にしてきたMacがそろそろ寿命のようだ。来年以降に出荷されるMacでOS9が起動しないというニュースを聞いてから、年内に一台買っておかなくてはと考えていたのだが、購入を急がねば。

2002年11月18日 月曜日

夜半より寒風吹き荒ぶ。コタツで仮眠後、文字作り。耳を揉みほぐす。眠気覚ましと肩こり解消に効果あり。

2002年11月17日 日曜日

30歳を越してからようやく大食癖がおさまった。20代は暴君のごとく食べた。しかし今でも、幼いころ好きだったメニューが思いがけず卓に上ると、ひょっこり大食癖が蘇る。今日のお昼のオムライス。作り過ぎが原因。幼少時の食べ物の記憶はあなどれない。

2002年11月16日 土曜日

食器を片付ける子どもの歩き方が、能の所作のようで可笑しい。からくり茶運び人形と言ったほうが近いかな。

 座敷へと小坊主運ぶ納豆汁

2002年11月15日 金曜日

『草枕』に、次のようなごく短い回想シーンが挿まれている。禅寺の石段を主人公が登って行くと、門内から下りて来た坊主がすれ違いざまに「何もありませんぞ」と言い捨てて立ち去ったという、ただそれだけの、しかし忘れ難い一場面。全編が春の朧につつまれた『草枕』のこの場面だけは、盛夏か初冬ではないかと勝手に想像している。

 寒菊を束ねる僧の手際哉

2002年11月14日 木曜日

黄金バットの笑い声で目が覚めた。昨晩、私がいない間に借りてきたという『東映100大ヒーロー』なるビデオを4歳の息子が観ていたのだ。そのあと続々出てくるイナズマンやらキカイダーに私も釘付け。やはり石ノ森章太郎のキャラクタデザインが秀抜。変身忍者嵐も仮面ライダーもゴレンジャーもサイボーグ009もロボコンも、この人がいなかったら目にすることはなかったのだ。

2002年11月13日 水曜日

夕方から代官山へ。高橋信行展のオープニング。満員御礼の会場をあとにして、冨岡、木雲とともに渋谷で牛タン。タン刺し、焼きタン、スモークタン。3人で締めて6000円也。熱燗少々。

2002年11月12日 火曜日

午後3時、池袋のティーサロンにて元同僚と飲茶清談。水仙という名の中国茶を試してみる。当方の心配をよそに、文字談義に興が乗ってしまえば、あれよあれよという間に3時間半が過ぎていた。午後7時、高田馬場の字游工房を訪ねる。鳥海さんと岡澤君と私とでワイン二本がみるみるなくなっていく。飲茶対談ワイン鼎談合わせて7時間、ほとんど書体の話し。それでも物足りない。この人たちは私にとってどんな人なのか、どんな繋がりなのかうまく表現する言葉が見つからない。あえて言えば、臆面もなく言ってしまえば、それは「有志」ではないだろうかと思う。同志とは違う。「一人一志」或いは「一人多志」でなければね。お三方の共通点、それは「お茶を濁せない」人たちでもあった。

 其にほひ桃より白し水仙花    芭蕉

2002年11月11日 月曜日

上のタイトルバーにある「Letter&Paper」は、タイプデザイン以外の文字の仕事と、紙を使った仕事を収納する場所。約(つづ)めて言えば「文字と紙」。先月、紙好きの相方が、雪のデザイン賞(過去日記参照)で金賞を受賞した。雪華に挑まず、月下の氷塊をモチーフに選んだことが幸いしたか。

2002年11月10日 日曜日

快晴。来年以降の計画を紙に書き出してみる。実現にはやや困難が伴う企てをその中にひとつふたつ潜り込ませておく。どれくらい細部までメモできるかで実現可能性の度合いを推し量ることができる。メモを繰り返しバージョンアップすることで実現可能性を高めることもできる。

2002年11月09日 土曜日

その日の仕事の遅れは、就寝前の2時間を充てて帳尻を合せることにしている。昨晩は早めの就寝。よって昨日の遅れは休日利用で取り戻す。

2002年11月08日 金曜日

子どもをごたへ送る自転車で往復30分の距離は、朝の運動にちょうどよい。空腹になったところへ、ソーセージとレタスをはさんだパンをコーヒーで流し込む。午前9時半からメールチェックとホームページのアップデート作業。かすれはじめたトナーを交換。ドラムの外にまでトナーが溢れ出してしまい、数時間作業を中断してプリンタの掃除。机と床もトナーまみれ。

2002年11月07日 木曜日

立冬を見計らったように寒気到来。石油ストーブ初稼動。安東次男は、「晩秋、初冬の移り目は、人それぞれの受けとめかたに関わっている」と書き、「一つ二つとり残した柿が、ある日どこからともなく忽然としてそこに現れたと感じられることで自身の冬の心構えとする」と記した。(『花づとめ』中公文庫)。今年四月、流火草堂主人 安東次男死去。82歳。哀悼一句。

 山芋の堀り残されて夕時雨

2002年11月06日 水曜日

常識的に考えると「あのよー」から始まる電話の切り出しかたはないと思う。年に何度かしかない母親からの電話は大抵こんな感じで「なんだなんだ」とこちらが狼狽えている間も話は続く。名古屋弁のイントネーションを伝えられないのが残念。「まーいかん」

2002年11月05日 火曜日

字面の工夫は俳句の得意とするところ。漢字のみ、ひらがなのみ、カタカナのみの名人芸をご覧あれ。去りゆく秋を偲んで。

 柳散清水涸石処々(やなぎちりしみずかれいしところどころ)   蕪村

 をりとりてはらりとおもきすすきかな    飯田蛇笏

 ワガハイノカイミヨウモナキスゝキカナ   高浜虚子

蕪村の句は、蘇東坡の後赤壁ノ賦「水落チテ石出ヅ」を踏まえての一句。即興で短冊に描いた文人画の趣きあり。第二句は、「をり、とり、はらり」の音韻と、ひらがなの字姿によって芒を視覚化した蛇笏の秀句。虚子の句は、漱石の猫が亡くなったのを知って返電した弔句。電報だから片仮名しか使えないという事情を越えて、片仮名を使わずしてかの猫の滑稽味は出し得ないとまで思わせる。字々俳諧に木雲評釈を追加。木雲、迷う。

2002年11月04日 月曜日

草加から妻の祖父母がやってきて孫をお持ち帰り。餓鬼のいぬ間に夫婦で安い鮨をつまみに出かける。それにしても手がかからなくなったものだ。しかし数年後には、今度は淋しさをともなって同じ感想を洩すことになるのだろう。

 淋しさに二通りあり秋の暮    三橋敏雄

2002年11月03日 日曜日

モリサワカレンダー「人間と文字」シリーズは、中国篇と日本篇に入ってから俄然おもしろくなってきた。11月のモチーフは、草書「龍」字を背面にあしらった江戸時代の手鏡。雲と海の吉祥文の間で悠然と踊る「龍」字の終筆は、龍の尾をなすと同時に海の紋様とも響き合う。図象と文字、真と行と草を自在に行き来していた時代の匠=巧の見事な意匠力。真行草の往来なくして、日本文化と呼べるようなものを今後生み出し得るかどうか極めて疑わしい。「新日曜美術館」正倉院宝物の特集を見ていてつらつらとそんなことを考えた。文化の日。

2002年11月02日 土曜日

困難に直面したとき、思わぬ人が手をさしのべてくれることがある。親でも兄弟でもなく、師でも友人でもなく、同僚でも上司でもない誰か。長い旅路の途中で幾度もそういう人とすれ違ったり交わったり再会したりする。可愛い子には旅させよ、の核心はそこであろう。
古い友人の子を半日あずかる。その成長ぶりにあらためて感じ入った。さしづめこの子などは、私にとって「他人であって他人でない誰か」なのかもしれない。

2002年11月01日 金曜日

少子高齢化がもたらすもの。手習い文化の復活。カルチャーセンターやオープンカレッジは手本にならない。イメージは「大人の寺子屋」。書道ではなく書法。茶道ではなく喫茶。俳句ではなく連歌俳諧。数学ではなく算術。美術ではなく図画工作。新橋の焼き鳥屋で友人と一杯。