先哲篇
ことば格納庫「さ行」
さ
西行
- 詠歌は花月に対して動感する折ふし、僅かに三十一文字作るばかりなり。(2003.5/4)
三枝博音(さいぐさ ひろと)
- 技術は意識され問題にされることによって、一層高い段階へと発展することが必然的である。その点が慣習とちがっている。『技術の哲学』(1951)より(2002年3月)
- 私がここで技術的であると言うのは、ものごとの成立しゆく過程をば、そこにある諸々の方法を見せつつ、明らかにするやり方をしていることを言うのである。『三枝博音著作集 第八巻』より(2004.8/14)
斎藤緑雨
- 懺悔は一種ののろけなり、快楽を二重にするものなり、懺悔あり、ゆえに悛(あらた)むる者なし。懺悔の味(あじわい)は、人生の味なり。『眼前口頭』より(2002.11.17)
サイモン, ハーバート・A
- 現状をよりよい状況に変えるための一連の行動を考える者は、皆、デザインをする者だと言える。『現代におけるデザイン』より(2004.11/29)
サヴァラン, ブリア
- 新しい料理法の発見は、新しい星の発見よりも人間を幸せにする。(2003.10/29)
サッチャー, マーガレット
- ミスター・ゴルバチョフは気に入ったわ。いっしょにビジネスができそうね。(2002.11/12)
サティ, エリック
- 最後まで譲ってはならない。(死の前日に口にした箴言)(2004.11/24)
サールズ, ドク/ワインバーガー, デビッド
- 市場は対話だ。『これまでのビジネスのやり方は終わりだ』より(2003.6/21)
サルトル, ジャン・ポール
- 自由であることは、自由であるべく呪われていることである。(2003.7/14)
サンダース, セシリー(医学博士)
- ごく近い将来、死ぬ権利は、死ぬ義務になると思う。(2003.11/15)
し
ジイド, アンドレ
- 真実を探している者を信じよ。真実を見つけた者は疑え。(2002.8/22)
- 平凡なことを、毎日平凡な気持ちで実行することが、すなわち非凡なのです。(2004.2/26)
シオラン, エミール
- 病者であるとは、おのれ自身との全的な合一の謂にほかならない。(2002.2/18)
- 書物は古い傷口を開き、さらには新しい傷をさえもたらすものでなければならない。書物とは一箇の危険であるべきだ。(2002年3月)
- 男らしさの欠除した空隙こそ精神の宿る場所なのである。『崩壊概論』より(2002年3月)
- 私たちが孤独から体得することは、独りである術ではなく、唯一者である術である。『思想の黄昏』より(2002.5/1)
- 人間が夜明けの言葉で自分のことを考える時代は、もう終わった。『崩壊概論』より(2002.12/26)
- 真の知とは、結局、夜の暗黒の中で目覚めているということに尽きている。『崩壊概論』より(2002.12/28)
- 怠惰は冗漫さから私たちを救い、したがってまた、生産につきものの恥知らずの行為からも私たちを救ってくれる。『四つ裂きの刑』より(2003.4/23)
- われわれは、自分の失敗の総和によってのみ、己れ自身たり得るのである。『崩壊概論』より(2003.6/30)
- 永遠の内容は中世の蕩尽するところとなったが、さればこそ私たちは、誰はばかることなくはかなきものを愛することができるのである。『涙と聖者』より(2003.7/12)
- すべて爛熟しきった文明には、凋落の完全さなるものがある。『崩壊概論』より(2003.7/29)
- 人間はいまや新たな時代、自己憐憫の時代の入口にたっている。『崩壊概論』より(2003.8/24)
- われわれの屈従は、すべて、飢え死にするだけの決心ができないことから由来する。『崩壊概論』より(2003.9/4)
- 弱さは人類がただひとつ獲得した最も重要な心理的感覚である。(2003.1/16)
- 独創性とは、ようするに形容詞の酷使と、暗喩の無理な喚起的用法に帰するわけである。『崩壊概論』より(2004.1/30)
- 私たちは、ある国に住むのではない。ある国語に住むのだ。祖国とは、国語だ。それ以外の何ものでもない。(2004.3/23)
- 語り口とは才能以上のもの、才能の真髄である。『涙と聖者』より(2004.4/17)
- 存在が精神によって蝕まれつくされたあとの空虚、そこを占めるのが意識である。『崩壊概論』より(2004.8/6)
- 地獄とは、率直で無作法な男のイメージを拡大したものであり、気品と礼節という迷信を一切欠いたところに思い描かれる土地なのである。『崩壊概論』より(2004.10/18)
司馬遷
- 断じて行えば、鬼神もこれを避く。『史記』より(2004.3/1)
柴田宵曲
- 真に価値あるものを発見することは、多くの人々によって常に企てられなければならぬ仕事の一である。『古句を観る』より(2004.1/30)
柴田錬三郎
- 私は、作家の魂の奥に燃える焔を、かりに「寂寞」と云おう。『柴田錬三郎全集18巻 随筆・エッセイ集』より(2003.6/24)
- ダンディズムとは、他人に似ることを厳しく警戒する独創性を追求することによって、真価を発揮する。『地べたから物申す』より(2003.7/8)
司馬遼太郎
- 軍事の才能は、養成も教育も利かない。ただ偶然、何者かに宿るのみである。 『項羽と劉邦』より(2004.3/25)
- 芸術というのは同時代の様式上の共鳴作用ではありつつも、幸運な才能というものは、たまたまその共鳴の場に居ることがなく、境涯として置かれたべつな場所にあって自分を独自に深め、その独自さが普遍の美にまで達するということがありうる。『微光のなかの宇宙』より(2004.6/2)
- やはり人間は、手ざわりで、肉体でさわらなければ教育はできないものでしょうね。『日本人を考える 司馬遼太郎対談集』より(2004.12/19)
- 志は塩のように溶けやすい。『峠』より(2005.1/30)
清水幾太郎
- 今日の電信、電話、ラジオ、新聞、その他の交通機関はすべてわれわれの眼や耳の延長であるとともに眼や耳それ自身ですらあるのだ。『流言蜚語の社会性』より(2003.8/17)
- 精神の戦闘的な姿勢がなければ、小さな文章でも書くことは出来ないのである。『論文の書き方』より(2004.2/7)
- 読む人間から書く人間へ変るというのは、言ってみれば、受動性から能動性へ人間が身を翻すことである。『論文の書き方』より(2004.5/13)
ジャコメッティ, アルベルト
- 偉大な冒険とは、同じ顔の中に日毎見知らぬものが現れるのを見ることだ。(2002.11/18)
シャンフォール
- 機会が二度君の扉を叩くなどと考えるな。(2004.2/23)
シュレーゲル, ヴィルヘルム
- すべてのものはすべてのものと関連がある。(2003.6/11)
筍子
- 道近しといえども、行かざれば至らず。(2003.11/19)
シェイクスピア, ウイリアム
- 過失の弁解をすると、その過失を目立たせる。(2002.8/25)
- 成し遂げんとした志は、ただ一回の敗北によって捨ててはならぬ。(2002.10/2)
- 短いということがウイットの精神だ。『ハムレット』より(2002.11/15)
- 我々は我々の夢と同じ布地でつくられている。 (2003.4/21)
- 人の言葉は善意にとれ、そのほうが5倍も賢い。(2003.5/16)
- 脛に傷もつ馬こそ跳ねよ。『ハムレット』より(2003.8/12)
- 険しい山に登るためには、最初からゆっくりと歩くことが必要である。(2003.11/20)
- 目がまわっても、逆にまわれば治る。死ぬほどの悲しみも別の悲しみで癒える。(2004.1/21)
- 嫉妬をする人はわけがあるから疑うんじゃないんです、疑い深いから疑うんです。『オセロウ』より(2004.7/5)
- 小さな花には品があり、大きな雑草は伸びたがる。『リチャード三世』より(2004.8/29)
ジェームズ, ウイリアム
- 一度過ぎ去った心的状態は、以前とまったく同じ状態では決して再生起しない。『心理学』より(2004.4/29)
- 未完の仕事に永久にしがみついているほど疲れることはない。(2004.10/31)
ジェローム, J・K
- なすべき仕事をたくさんもっていないかぎり、怠惰をたのしむことはできない。(2003.8/2)
ショーペンハウエル
- 流浪の生活は困苦のために、観光は退屈のために生じた。(2002年2月)
- 自己の経験を本文と見、思索と知識とをこの本文に対する注と見ることもできる。経験が少なくて思索と知識が多いのは、各ページに本文が二行、注が四十行もある版のようなものだ。(2002年2月)
- 哲学において、前提のない方法と称されるものは、すべてまやかしである。『知性について』より(2002年2月)
- いかなる文体も、碑文的文体の面影を、いく分でも留めているべきである。『読書について』より(2002.4/3)
- なるほど世の中には、自分のうちに現象している意志が弱いためにただ善良らしく見えるにすぎないような人々がいる。『意志と表象としての世界』より(2002.5/21)
- 我々の人生というものは死から融通してきた借金のようなものだとも考えられえよう、──そうすると睡眠はこの借金に対して日ごとに支払われる利子だということになる。『自殺について』より(2002.9/28)
- 我々は無理矢理考えようとするべきではなく、自然に気分的にもそうなる機会を待つべきである。そういう気分は思いがけなく、繰り返しわいてくるものであるが、気分はそのつど異なりながら、異なった角度から当の問題に照明を投げかける。このゆるやかな経過こそいわゆる決意の成熟というものにあたる。『読書について』より(2002.9/29)
- 心に思想をいだいていることと胸に恋人をいだいていることは同じようなものである。『読書について』より(2002.10/4)
- 我々が徹底的に考えることができるのは自分で知っていることだけである。『読書について』より(2002.10/28)
- 書物を買いもとめるのは結構なことであろう。ただしついでにそれを読む時間も、買いもとめることができればである。『読書について』より(2002.10/31)
- 一つの労作が自分の手で日に日に成長し、やがて完成するのを見るということからは、直接的に幸福が与えられる。『幸福について』より(2002.11/29)
- 良書を読むための条件は、悪書を読まぬことである。『読書について』より(2003.2/19)
- 人間はまだ一度にただ一つのことしか、明瞭に考えられない動物である。『読書について』より(2003.2/25)
- 「反復は研究の母なり」重要な書物はいかなるものでも、続けて二度読むべきである。『読書について』より(2003.3/1)
- 数量がいかに豊かでも、整理がついていなければ蔵書の効用はおぼつかなく、数量は乏しくても整理の完璧な蔵書であればすぐれた効果をおさめるが、知識のばあいも事情はまったく同様である。『読書について』より(2003.4/3)
- 「いかに、どのように」は言い換えればその人の思索にそなわる固有の性質であり、それを常にすみずみまで支配している独自性である。『読書について』より(2003.5/12)
- 重要な書物はいかなるものでも、続けて二度読むべきである。『読書について』より(2003.5/29)
- 努力の終局目標とすべきものは想像力の描き出す映像でなく、明敏な思考を経た概念である。『幸福について』より(2003.8/3)
- 人間は孤独でいるかぎり、かれ自身であり得るのだ。だから孤独を愛さない人間は、自由を愛さない人間にほかならぬ。けだし孤独でいるときのみ人間は自由なのだから。(2003.8/31)
- なげやり調にものを書くのは、自分の思想にあまり価値をおいていないことを、初めから告白するようなものである。『読書について』より(2003.10/12)
- 生涯の設計を縮図のようにして眺めることが、何にもましてわれわれを力づけ、励まし、奮い立たせ、活動の気力を与え、邪道におちいるのを防いでくれるであろう。『幸福について』より(2003.11/3)
- ほとんどの思想は、思索の結果、その思想にたどりついた人にとってのみ価値をもつ。(中略)しかし、そういう場合でも真に価値があるのは、一人の思想家が第一に自分自身のために思索した思想だけである。『読書について』より(2003.12/22)
- 人間各自の生き方は、いかに外部からの変化があっても、終始一貫同じ性格を帯び、同一主題をめぐる幾つかの変奏曲にも譬えられる。『幸福について』より(2004.1/9)
- 朗らかさがやって来たときには、どんな場合にでも、門扉を開くがよい。朗らかさが今来ては困るという時はない。『幸福について』より(2004.1/10)
- 人生の幸福にとっては、われわれのあり方、すなわち人柄こそ、文句なしに第一の要件であり、最も本質的に重要なものである。『幸福について』より(2004.1/18)
- 柄に合った計画だけに努力を集中し、柄に応じた修行の道に励み、他のいっさいの道を避け、柄にぴったりとくる地位や仕事や生き方を選ぶことである。『幸福について』より(2004.3/29)
- 対外的な利益を得るために対内的な損失を招くこと、すなわち栄華、栄達、豪奢、尊称、名誉のために自己の安静と余暇と独立とをすっかり、ないし、すっかりとまではいかなくてもその大部分を犠牲にすることこそ、愚の骨頂である。『幸福について』より(2004.4/8)
- 他人の言動に絶えず注意を払っているということは、その人がいかに退屈しているかを示すものだ。『幸福について』より(2004.4/11)
- 真理はそのままでもっとも美しく、簡潔に表現されていればいるほど、その与える感銘はいよいよ深い。(2004.12/1)
章柄麟
- 愛国心は、強国の民はもつべきでなく、弱国の民はなくすべきでない。『国家論』より(2002.6/6)
ジョンソン, サミュエル
- 音節を鎖に繋ごうとするのは、風を縄で縛ろうとするのと同じく、傲慢のなせる業に他ならない。『辞典』(1755)の前書きより(2002年2月)
- 今から一年も経てば、私の現在の悩みなど、およそくだらないものに見えることだろう。(2002.7/4)
- 金儲けほど、人間が無邪気に熱中できるものはない。(2002.7/26)
- 腹のことを考えない人は頭のことも考えない。(2002.8/23)
- 年を取るにつれて新しい知己を作って行かない人間は、必ずや自分が取残された感じを味わうはずだ。君、人は自分の友情を絶えず補修せねば駄目だ。(2002.12/10)
- 音楽は背徳を伴わない唯一の官能的な愉しみである。(2003.6/28)
- 不平をこぼす人間に与えられるものは、一般に憐れみよりもむしろ軽蔑である。(2004.3/10)
- 知性の向上につながるアイディアはすべて、余暇にひらめく。(2005.1/31)
ジョンソン, フィリップ(建築家)
- 休暇は嫌いだ。ビルを建てられる人間が、なんで浜辺に座っていなければならないんだ。(2002.8/7)
白川静
- 弟子たちは須(すべか)らく先生の頭を踏んで、その上を乗り越えて進んでいくというのでなければ、学問の進歩はあり得ない。『桂東雑記 I』より(2004.1/5)
- 「狂」というのは本当に気が触れてしまったというのではなくて、一種の異常な力が自分の内にあると考えられる状態を、本当は「狂」という。『桂東雑記 I』より(2005.2/5)
心敬
- 連歌はかねてたしなみ朝夕修行工夫して、その座にてはかろがろとすべし 『連歌庭訓』より(2003.1/8)
- 心もち肝要にて候。常に飛花落葉を見ても草木の露をながめても、此世の夢まぼろしの心を思ひとり、ふるまひをやさしくし、幽玄に心をとめよ。『連歌庭訓』より(2004.1/27)
新村 出(しんむらいずる)
- slow, but steady. (ゆっくりと、しかし着実に) 新村が息子 猛におくった言葉(2002.7/15)
ジンメル
- 教育は不完全なのが普通である。そのそれぞれの働きによって二つの対立する傾向すなわち解放と束縛とに仕えねばならないからである。(2004.10/20)
す
スウィフト, ジョナサン
諷刺は一種の鏡である。ただ人がその前に立って、自分の顔だけは決して見えない鏡である。『ガリバー旅行記』より(2003.12/8)
およそ人間たるもの、便器にかかっている時ほど真剣で、思いつめ、精神統一を果たしている時は他にない。『ガリヴァー旅行記』より(2004.4/15)
法律は蜘蛛の巣に似ている。小さな蠅を捕えるが、すずめ蜂は通りぬけるにまかせる。『精神の諸機能についての考察』より(2004.9/10)
スコット, ウォルター
- その目的の正しいことを知り、そして心を強くしておくことが、一番困難な日の仕事をやりとげる道なのです。(2003.7/10)
鈴木 勉
- 時間があればいい書体ができるわけじゃないだろ。与えられた時間の中でどれだけのことができるかが勝負だよ。『鈴木 勉の本』より(2003.12/12)
スターン, アイザック
- 豊かな音色は満ちた心からしか生まれないのです。(2004.2/19)
ストラビンスキー, イーゴリ
- 革命とは車輪を回すことである。(2005.1/24)
スピノザ
- 謙遜は徳ではない。謙遜は人間が自己の無能力を観想することから生する悲しみである。『エチカ』より(2002.7/20)
- 徳はそれ自身のために求められるべきであって、徳よりも価値のあるもの、徳よりも我々に有益なもの、それのために徳が追求されなければならないようなもの、そうしたものは決して存在しない。『エチカ』より(2002.8/12)
- 自由の人にあっては、適時における逃避は戦闘と同様に大なる勇気の証明である。すなわち自由の人は戦闘を選ぶ時と同じ勇気ないし沈着をもって逃避を選ぶ。『エチカ』より(2003.6/20)
- きわめて自卑的でありきわめて謙遜であると見られる人々は大抵の場合きわめて名誉欲が強くきわめてねたみ深いものである。『エチカ』より(2004.11/5)
スピルバーグ, スティーブン
- I dream for a living. (2002.8/27)
スペインの諺
- ばたばたするのは、釘の抜けた蹄鉄。(2002年2月)
- 阿呆も自分の家なら、よその家にいる利口者より、勝手がわかる。(2002年3月)
スペンサー, ハーバート
- 自然の法則には、例外というものはひとつもない。(2003.4/17)
スミス, アダム
- (資本とは)蓄積されかつ貯蔵された労働の一定量のことである。(2003.7/21)
せ
世阿弥
- 秘する花を知る事。秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず。『風姿花伝』より(2002.9/25)
清少納言
- 遠くて近きもの 極楽。『枕草子』より(2003.8/23)
西洋の諺
- 最善のものを希望せよ。しかし最悪のものに備えよ。(2005.1/1)
セザンヌ
- クロード・モネは単なる眼にすぎない、しかしなんとすばらしい眼だろうか。(2003.4/17)
セネカ
- われわれは、他人の轍を踏むことによって滅びる。(2002年2月)
- 今は語ることが問題ではない。舵をとることだ。『書簡』より(2002年3月)
- 通りすがりの場合にも有効であるようなそういう有益なものは存在しない。『書簡』より(2002年3月)
- 節制も忍耐も行わない贅沢な生活以上に、怒りを育てるものはない。『怒りについて』より(2002年3月)
- 心が休みなく働くことから生じるものは、或る種の無気力と倦怠感である。『人生の短さについて』より(2002.5/5)
- 多忙な人にかぎって、生きること、すなわち良く生きることが最も稀である。『人生の短さについて』より(2002.5/14)
- 希望は近くに馳せるがよい。達成したあとでも成功したことに驚くような仕事は企てるべきではない。『怒りについて』より(2002.5/31)
- 自由を与えてくれるものは、運命を軽視すること以外にはない。『人生の短さについて』より(2002.6/17)
- 心には寛ぎが与えられねばならぬ。心は休養によって、前よりも一層よき鋭さを増すであろう。『人生の短さについて』より(2002.6/20)
- 特に避けねばならぬ者はいる。それは陰性で、何ごとにも嘆きを発する者たちであって、この者たちにかかっては、どんなことでも不平の種にならないものはない。『人生の短さについて』より(2002.7/7)
- 大きな地位は大きな隷従だ。『ポリュビウスへの慰め』より(2002.7/8)
- 外に現われた悪徳はすべてより軽いものだ。健全さをよそおってひそんでいるものこそ、もっとも悪性のものだ。『書簡』より(2002.7/9)
- 生涯をかけて学ぶべきことは、死ぬことである。(2002.9/10)
- なんびとも、判断するよりはむしろ信ずることを願う。(2002.10/7)
- 生きることの最大の障害は期待を持つということである。それは明日に依存して、今日を失うことである。(2002.11/26)
- 重要な事はなにを耐え忍んだかという事ではなく、いかに耐え忍んだかという事だ。(2003.1/3)
- われわれは短い人生を受けているのではなく、われわれがそれを短くしているのである。『人生の短さについて』より(2003.4/18)
- 君が怒っているときは、君には何も許されてはならない。なぜか。そのときには、君は万事が許されることを望むからである。『怒りについて』より(2003.4/20)
- われわれを害悪に巻き込むことの最も甚だしいのは、多数者の賛成によって承認されたことを最善と考えて世論に同調することであり、また沢山のことをわれわれの先例として、道理に従って生きるのではなく模倣に従って生きることである。『人生の短さについて』より(2003.7/9)
- 要は、どんな具合に侮辱が加えられたかではなく、どんな具合に侮辱に堪えられたかである。『怒りについて』より(2003.8/27)
- 途中でやめるよりは、初めからしないほうがよい。『書簡』より(2003.9/17)
- 最も確実な勇気というのは、長い間広く自己の周囲を見渡し、自己を統御し、かくて徐々に、かつ計画的に自己を前進させることである。『怒りについて』より(2004.1/4)
- 精神活動を伴わぬ余暇は死であり、人間の生きながらの埋葬である。(2004.4/4)
- 着手してよい仕事は、完成できる見込みがあるか、あるいは少なくとも完成を期待することができる仕事であって、本来の活動以上に広範囲に進む仕事や、留めようと思ったところで留まらない仕事も放棄しなければならない。『人生の短さについて』より(2004.9/13)
- 闘う相手がなければ、勇気も萎びる。『神慮について』より(2004.9/18)
- 絶えず自己の災いと戦ってきた者は、幾度か受けた災害を通して逞しさを身につけ、いかなる災いにも倒れないのみならず、たとえ倒れてもなお膝で立って戦う。『神慮について』より(2004.9/23)
- 一度も休耕しないで収穫だけを上げるならば、畑はたちまち不毛の地に化するであろう。『人生の短さについて』より(2004.9/25)
- 群集への嫌悪を癒すのは独居であり、独居の退屈を癒すのは群集であろう。『人生の短さについて』より(2004.9/26)
- もともと飾り気のない、しかも自分の性格を少しも隠さない率直さには、どんなにか多くの気楽さがあるであろうか。『人生の短さについて』より(2004.10/5)
セルバンテス
- 好機は、それが去ってしまうまで気づかれないものだ。『ドン・キホーテ』より(2002年3月)
- 勤勉は幸運の母である。(2003.2/26)
- どんな困難な状況にあっても、解決策は必ずある。救いのない運命というものはない。災難に合わせて、どこか一方の扉を開けて、救いの道を残している。(2003.3/27)
- 真の勇気というものは、極端な臆病と無鉄砲との中間にある。(2003.11/21)
先崎 学(棋士)
- 要するにスランプとは、長い目で見ることを忘れている状態といえる。『浮いたり 沈んだり』より(2004.2/3)
千 利休
- 釜一つあれば茶の湯はなるものを、数の道具をもつは愚かな。(2003.5/24)
そ
荘子
- 君子の交わりは淡きこと水の若(ごと)し(2003.1/31)
ソットサス, エットーレ
- 女の人に花を贈る、それだけでさえも、人の生き方や人間の存在に深く結びついているプロジェクトなのです。(2004.11/7)
ソロー, ヘンリー・デイヴィッド
- 結局人間は、自分が目的とするもののみを獲得するものである。それゆえ、最も高いものだけを目的としなければならない。(2003.3/4)
- 真実を語るには二人の人間が必要である。語る人と聞く人と。(2003.5/28)
- 文章の一つの大切なルールは、真実を語ることである。これが第一に大切なことであり、第二に大切なことであり、第三に大切なことである。(2003.10/16)
- 腐敗した善から発散する臭いほど鼻もちのならぬものはない。(2004.4/9)
ソンタグ, スーザン
- いかなる時代においても、その時代にふさわしい精神性が新たに発明されなければならない。『ラディカルな意志のスタイル』より(2002.4/4)
- 現代生活の物質的充満や人口過密など、あらゆる条件が力を合わせて、われわれの感覚的能力を鈍らせようとする。『反解釈』より(2003.10/30)
- 芸術作品のなかで最も可能性に富んでいる要素はしばしば沈黙である。『反解釈』より(2003.11/5)
- 感覚を──とりわけ生きていて力強い感覚を──言葉でからめ取るためには、われわれは断定を避け、柔軟にふるまわねばならない。『反解釈』より(2003.11/25)
- 様式について語ることは芸術作品の全体性を語る方法のひとつである。『反解釈』より(2004.5/1)