Type Project —visible, but invisible.

書籍案内

おススメ本002

『字幕の中に人生』 戸田奈津子 白水社 1994

そんな仕事があったのかと思うような職業が世の中にはたくさんある。戸田奈津子が現れるまでの「字幕屋」も、おそらくそんな職業のひとつだったに違いない。
字幕づくりは制約だらけである。いや、制約によって字幕が成立していると言ってもいい。まずどのような制約が字幕に課せられているのかを把握することが非常に重要で、長い試行錯誤のすえ、戸田の先輩たちによって次のような数字が算出された。普通の観客が一秒間に読みとることができるのは3,4文字で、縦一行に10文字。以下、戸田が語る字幕のテクニックをダイジェストでお読みいただきたい。

1. 「〜しちゃった」のような促音は、字数をとられるだけでなく、ビジュアルなバランスがよくない。子供のせりふには促音を使いたくなるが、字幕では「僕見ちゃったよ」ではなく「僕見たよ」でよい。字幕の文章は話し言葉そのものではない。
2. 映画『フック』の場合、「かぎ」というひらがなは読みにくく、そのうえ「鍵」と混同するので「鉤」を使ってルビをふる。その代わり、字数を2,3字減らして読みきれるようにする。
3. ぜんぶ平がなという字幕は読みにくく、1字漢字を入れることではるかに読みやすくなり、ビジュアルの面でも字幕がひきしまる。
4. 映画の出だしのセリフは字数を抑え、徐々にピッチをあげ、観客をうまくリズムに乗せる。

本書では、字幕名人ならではの技がまだまだ披露されるのだが、ここでは特に字面への配慮を中心にとりあげてみた。乱暴に言ってしまえば、言葉と文字と意味の「やりくり上手」といったところだ。上手の手にかかった字幕は映画と一体になり、字幕そのものを意識させない。そこが字幕屋の腕のみせどころなのである。戸田は、「字幕という日本語」という章をもうけているが、確かに字幕のなかでしか成立しえない日本語というものがあるようだ。俳句という日本語があり、和歌という日本語があり、いまならe-mailという日本語やiモードという日本語が生まれつつある。五七五というごく短い詩型の俳句では、ひとつの言葉を漢字で書くか仮名で書くかは抜き差しならない問題として浮上する。そういえば、iモードの生みの親、松永真理もiモード液晶画面に表示する漢字ひらがなカタカナの割合にこだわったと告白している。
本書では、映画のスクリーンによく映えるあの独特の文字を書く「書き屋さん」についてもふれられている。

(2001.9/11)