四十にして惑わずという言葉には「四十になったらできれば惑わずにいたいなあ」という願望と「でも惑わずにはいられないだろうな」という諦観、ふたつの感情のありようを三十九歳の私はリアルに感じる。
鈴木 at 10:50| 固定リンク |コメント (2)
四十の声を聞いてから、ひたすら一直線。七十七の人生ふりかえると道なかば折り返し地点だもんね。「惑わずにいられない」それ余裕があるという事。期待しています。_こ
投稿者: _こ |2006年07月16日 15:24
惑うだけの余裕があるということでしょうか。たしかに本当に余裕のないときは最悪のシナリオ以外考えられませんものね。諦観もどこか「ポジティブなあきらめ」という感じで、からっとしたものです。
投稿者: 無記名 |2006年07月18日 11:38
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四十の声を聞いてから、ひたすら一直線。七十七の人生ふりかえると道なかば折り返し地点だもんね。「惑わずにいられない」それ余裕があるという事。期待しています。_こ
投稿者: _こ |2006年07月16日 15:24