タイププロジェクト日記

2006年05月18日 木曜日

お礼の手紙と『文字の本』を先週土曜日の訪問を企画していただいた方に送り、夕方から東京都体育館の会議室で開催された「マシュー・カーターに聞く〜活字設計のこころ〜」という、アイデア誌主催の公開インタビュー収録会に参加。マシュー・カーター氏も同席していた先日のメイリオのセミナー同様、話を聞いているうちにどうしても聞きたくなったことがあったので、質問してみた。質問の内容はというと、「Bell Centennialのように印刷用にデザインされた書体はインクのオン・オフなので、白と黒の2値でデザインすることは妥当だけれど、メイリオ(Meiryo)のようにディスプレイ上に階調を持った多値で表現される書体においても、従来同様の白と黒の2値でデザインするのが妥当だと思いますか?それとも何か違うものがあるのではないかとお考えですか?」というもの。Bell Centennialの技術を最大に活かしたデザインが気に入っています、という前置きをしてしまった上に、本題の質問をうまく説明できなくて、カーター氏に質問の内容が伝わるまでに時間が思いのかかってしまい他の人が質問する時間をなくしてしまった。質問をしようと思っていた方々ごめんなさい。この模様は『アイデア』318号(8月10日発売予定)に掲載される予定だそうなので、興味のある方はどうぞ。

小澤 at 23:59| 固定リンクコメント (1)

コメント

 文字の再現において、グレースケールは従来、CRT/LCD画面の低解像度を、輝度情報で補うために利用されてきました。ですから、もし解像度が必要十分に高ければ、グレースケールである必要は少なくとも従来の白黒をベースにした文字の再現上はなくなるわけです。そこでは、アナログの文字図形とその配置(および垂直・水平だけでなく傾斜した行などにおけるベースラインの整列)は正確に再現可能です。この技術的な文脈では、元々の文字のデザインはあくまで白黒以外にはありません。グレースケールはあくまで文字図形の再現技術のひとつでしかないわけです。Matthewが言ったこともその枠内のことと考えられます。これは伝統的なタイポグラフィに対応するものです。
 他方で、文字図形を何か絵画的な(painterly)なものとして表現しようとする場合には、グレースケールだけでなく色彩を含みながら、文字と文字以外の領域との境界は曖昧になり、相互に浸透し合うようになって、白と黒だけではまったく表現できないことになり、最初のデザインの段階からグレースケールや色を用いることになるでしょう。
 ここでいう絵画的というのは、文字と文字以外の世界との境界が(技術的制約からではなく、もとから)不分明であるということであり、それはおそらく時系列上の変化にも応用可能な考え方です。そのような文字表現の潜在的な拡張の可能性は、しかし、同一形態の複製としてのtypeというものと、原理的に不整合を生じることも予想されますが、文字を使った表現力の拡張という意味で、特に学生やアカデミックな領域で研究がされるべき未開拓の課題だとはいえるでしょう。そうしてできたものをタイポグラフィ、あるいはタイプと呼ぶべきかという議論は、まだ時期尚早に思われます。雑感まで。

投稿者: ty |2006年05月20日 23:30

コメント投稿フォーム

※ いままで、当日記にコメントしたことがない方は承認が必要になることがあります。
承認されるまではコメントは表示されません。

保存しますか?

  • 連絡先・お問い合わせ
  • アクセスマップ
    • 印刷用PDF
  • スタッフ
    • 鈴木 功
  • タイププロジェクト日記